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もう1つの南極物語-三毛猫タケシのあらすじ

実話「南極物語」のあらすじとネタバレ「もう1つの南極物語-南極越冬猫の三毛猫タケシのあらすじ」編です。目次は『実話「南極物語」のあらすじとネタバレ』をご覧ください。


このページは「南極物語-樺太犬タロとジロと宗谷のその後のあらすじ」からの続きです。

第1次越冬隊とともに樺太犬タロ・ジロなどが南極で越冬したことは有名だが、猫やカナリヤも越冬したことはあまり知られていない。今回は、南極で越冬した三毛猫タケシの物語である。

南極で越冬した猫は雄の三毛猫で、名を「タケシ」という。第1次南極観測隊の隊長・永田武の名前を賜り、三毛猫はタケシと命名されたのである。この猫のタケシが、日本初の南極越冬猫である。

1956年(昭和31年)11月6日、それは第1次南極観測隊を載せた南極観測船「宗谷が」が東京都の晴海埠頭を発つ2日前のことである。動物愛護団体の女性「鈴木はな」ら4人が、オスの三毛猫を持って南極事務室を訪れた。

オスの三毛猫が誕生する確率は低く、とても珍しいため、古来からオスの三毛猫は航海安全の縁起物とされていた。

鈴木はなは「オスの三毛猫は航海に縁起が良いんです。ぜひ南極へ連れて行ってください」と言い、オスの三毛猫を持ってきたのだった。

南極観測隊に犬係は居ても、猫係は居ない。そこで、南極事務室に居合わせた第1次越冬隊の犬係・菊池徹が三毛猫を受け取ることとなった。

こうして、オスの三毛猫は縁起物として南極観測船「宗谷」に乗り込むこととなる。

南極観測船「宗谷」が日本を発つと、宗谷内で発行する「南極新聞」で三毛猫の名前を公募した。しかし、良い名前が集まらず、話し合いの結果、隊長・永田武の下の名前をとって「タケシ」と名付けたのである。

隊員らは、永田武に腹が立つと、「タケシめ」と言い、三毛猫のタケシの頭をこついては、南極までの道のりを楽しんだ。

南極観測船「宗谷」無事に南極へ到達し、やがて第1次越冬隊が成立する。三毛猫のタケシは航海安全の縁起物なのだから、南極観測船「宗谷」に残るのがスジだが、越冬隊の希望により、三毛猫タケシも昭和基地に残ることになった。

(ちなみに、縁起物の三毛猫タケシを下ろして帰路に就いた宗谷は、氷に阻まれて身動きがとれなくなり、ソ連の砕氷船「オビ号」に救助されている。)

昭和基地に残った樺太犬には犬ぞりという仕事があった。カナリアにも2酸化炭素の検知器という役割があった。しかし、三毛猫タケシには何も仕事は無い。犬の手を借りた越冬隊員でも、猫の手は借りることはなかったのである。

ある日、三毛猫タケシは通信機の中に入り込み、高圧電線に接触して感電して、瀕死の状態に陥ったが、一命を取り留めた。

やがて1年が経ち、第2次南極観測隊が迎えに来る。樺太犬タロ・ジロ・リキなど15頭は昭和基地に置き去りとなるが、三毛猫のタケシは第1次越冬隊の作間敏夫に抱えられ、ビーバー機「昭和号」に乗り込み、南極観測船「宗谷」に収容された。

南極観測船「宗谷」は度重なる損傷で満身創痍の状態になっており、第1次越冬隊は寄港したケープタウンで下船し、空路で日本へ帰る。三毛猫タケシも作間敏夫と共に飛行機で帰国した。

三毛猫のタケシは第1次越冬隊の作間敏夫に懐いており、帰国後は作間敏夫が三毛猫タケシを引き取ることになっていたが、帰国した日の夜、三毛猫タケシはどこかへ姿を消してしまったのである。

実話「南極物語」-福島紳の福島ケルンのあらすじ」へ続く。

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