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南極1号・弁天さんの都市伝説

南極物語で有名な第1次南極観測隊・第1次越冬隊に関する都市伝説シリーズとして、都市伝説「もう1体のダッチワイフ南極1号・弁天さん」を紹介する。


実話「南極物語」については「南極物語のあらすじとネタバレ」をご覧ください。

第1次南極観測隊がダッチワイフを南極へ持って行った。第1次越冬隊が持って行ったダッチワイフは南極1号「弁天さん(ベンテンさん)と呼ばれていることは有名である。

しかし、第1次南極観測隊は2体のダッチワイフを南極観測船「宗谷」に載せており、もう1体の南極1号「弁天さん」が存在していたことを知る人は少ない。今回は、もう1体の南極1号「弁天さん」についての話しである。

1956年(昭和31年)11月8日、第1次南極観測隊は南極観測船「宗谷(そうや)」に色々な物を積んで、東京都にある晴海埠頭を発ち、南極へ向かった。

宗谷には、映画「南極物語」で有名になった樺太犬タロ・ジロなどの他にも、三毛猫タケシやカナリアが乗っていた。

南極観測事業は、第2次世界大戦で負けた日本が国際舞台に復帰する大きなチャンスだっため、第1次南極観測隊は国民から大きな支持を受けていた。このため、多くの募金や寄附が集まっていた。

現金の他にも現物寄附も多く、女優のブロマイドや映画のフィルムなどから、濃縮したウイスキーや缶入りのタバコなど、多くの物が南極観測船「宗谷」に載っていた。その片隅に、南極1号「弁天さん(ベンテンさん)」と呼ばれるダッチワイフ2体もあった。

第1次越冬隊は、観測機器こそ十分なものは用意できなかったが、研究以外の物資は十分に揃っていたのである。

第1次南極観測隊は南極で越冬に備えて、十分な準備と工夫をしていた。寄附により物資は十分に用意できたが、南極という極寒の地で1年間の越冬生活をすることにおいて、最大の問題は越冬隊員の精神面だった。

長期間にわたり、閉鎖された空間に閉じ込められると、人間は精神に異常をきたすことがる。心理学では間隔遮断実験などが行われており、極地での基地問題(基地病)についての研究も行われていた。

第1次越冬隊は人間モルモットのような役割であり、過酷な南極で生き残れるような屈強な男たちばかりが選ばれていた。

そんな、屈強な男が南極大陸で1年間も越冬することにおいて、性処理は切実な問題であり、心理学的にも重要なことだった。そして、性問題についてのデータは学術的にも貴重な資料となり、今後の南極観測の発展に役立つことになる。

そういう経緯から、南極1号「弁天さん」2体が南極観測船「宗谷」に乗り込むことになった。「南極1号・弁天さんの都市伝説の後編」へ続く。

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