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実話「南極物語」昭和基地の火事と消火器のあらすじ

実話「南極物語」シリーズの第1次南極地域観測隊・第1次越冬隊の火事と消火器についてのあらすじとネタバレです。


1957年(昭和32年)7月24日、第1次越冬隊が越冬しているとき、昭和基地で火事が起きた。それはストーブの火が燃え移ったことを原因とする火事だった。

1957年7月24日の朝、第1次越冬隊の犬係・オーロラ係の北村泰一(25歳)は、昭和基地の敷地内にある移動式観測小屋(ソリ付きの小屋)「カブース」で、徹夜の観測を終える。

カブースに置いてある軽油ストーブは、ブリザードの影響で燃料コントローラーが壊れ、時々、不完全燃焼を起こしていた。このため、ストーブの煙突に大量の煤(すす)が詰まることがあった。

煙突に煤が詰まっていることに気付いた北村泰一は、燃料コックを閉めて、煙突を掃除する。そして、再び点火する。このとき、床にこぼれていた燃料に火が燃え移ってしまう。

近くに床にこぼれた燃料を拭き取った新聞紙があり、新聞紙にも火が燃え移る。

北村泰一は消火器で火を消そうとするのだが、レバーを押しても消火器は動かない。北村泰一は他の越冬隊員に助けを求めに行き、帰ってくると、カブースは炎上していた。

カブースは小屋の下にソリの付いた移動式の観測小屋で、ブリザードで飛ばされるのを防ぐ為に、ドラム缶につないでいた。そのドラム缶が火事の熱で膨張し、爆発しそうになっていた。

越冬隊の隊長・西堀栄三郎(53歳)は、ドラム缶の中身は軽油なので、爆発しても昭和基地に大きな被害は無いと考え、人命を優先して、ドラム缶に近づくことを禁じた。

しかし、第1次越冬隊の医療担当・中野征紀(52歳)が大きな雪の固まりを抱えて決死の覚悟でドラム缶に向かった。中野征紀がドラム缶の上に氷の固まりを置いて、ドラム缶を冷やしたため、爆発は免れた。

第1次越冬隊に死傷者でなかったことは不幸中の幸いだったが、この火事でカブースと共にオーロラ観測の記録が全て燃えてしまったのである。

移動式観測小屋「カブース」に備え付けていた消火器が作動しなかった原因は、消火器の点検にあった。

1957年(昭和32年)3月にブリザードに襲われた後、北村泰一は点検のため、消火器を噴射していた。これが災いした。

第1次越冬隊が持参していた消火器は、1度噴射すると使用できなくなるため、火事の時に作動しなかったのである。

第1次越冬隊が持参した消火器について調べてみた。どうやら、第1次越冬隊が使用した消火器は、神奈川県に本社を置く田宮工業株式会社の消火器「20-B型粉末消火器」である。

消火器には色々なタイプの消火器があり、昭和20年代は泡が出る泡消火器(泡沫消火器)というのが主流だったのだが、昭和27年に田宮工業が国産初となる粉末消火器「20-B型粉末消火器」を製造し、次第に粉末タイプの消火器が主流に成っていったようだ。

さて、展示してある南極観測観測船「宗谷」の消火器は「ヤマト」と書いてあるらしいので、ヤマト消火器株式会社の消火器のようだ。

消火器メーカー「ヤマトプロテック株式会社」が「ヤマト消火器株式会社」の商号を使用したのは1963年7月から1989年1月までの間なので、残念ながら南極観測観測船「宗谷」に展示してある消火器は、第1次南極観測隊の時の消火器ではないようだ。

ただ、船艦大和の設計者・牧野茂が宗谷を南極観測船(砕氷船)へ再設計したので、南極観測船「宗谷」に乗せてある消火器が「ヤマト消火器」というのは何か因果を感じる。

実話「南極物語」のあらすじとネタバレは、「実話『南極物語』のあらすじとネタバレ」をご覧ください。

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