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実話「南極物語」の飛行機編-ビーバー機「昭和号」

実話「南極物語」のあらすじとネタバレシリーズ『南極観測隊のヘリコプターと飛行機-ビーバー機「昭和号」』編です。実話「南極物語」の目次は『実話「南極物語」のあらすじとネタバレ』です。


このページは『実話「南極物語」の飛行機-セスナ機「サチ風号」』からの続きです。

■第2次南極観測船「宗谷」の搭載機
水上飛行機「昭和号」(DHC-2型ビーバー機)1機
ヘリコプター(ベル47G2型)2機
雪上車7台

■第2次南極観測隊とヘリコプターとビーバー機
第2次南極観測隊はセスナ機「さち風号」に変わる飛行機としてビーバー機(DHC-2型)を購入し、「昭和号」(JA3111)と名付けた。

1957年(昭和32年)12月20日、第2次南極観測船「宗谷」は南極のエンダービーランド沖に到着。12月26日、偵察に出たヘリコプターがビーバー機「昭和号」の離着陸に使えそうな海水面を発見する。

海水面に向かっていた第2次南極観測船「宗谷」は、12月31日から始まったブリザードの影響で、氷に囲まれて身動きが取れないまま、1ヶ月ほど西へ西へと流された。

1958年2月6日午後1時30分、第2次南極観測船「宗谷」は自力で外洋に脱出。午後4時より、ビーバー機「昭和号」のテスト飛行を兼ねた
周辺偵察を行う。

1958年2月7日、第2次南極観測船「宗谷」は、救援に駆けつけたアメリカの砕氷艦「バートンアイランド号」と会合。2月8日午前4時より昭和基地に向けて進行を開始し、2月8日午後6時に昭和基地から110km地点で接岸となる。

1958年2月8日午後7時55分、ビーバー機「昭和号」が離陸。フロート装着であったため着陸はせず、昭和基地からの要請のあった食料70kgを昭和基地へ投下し、写真撮影をして帰還する。

1958年2月9日、バートンアイランド号のヘリコプターが、ビーバー機の離着陸に使える大きな氷陸を発見。第2次南極観測隊はその氷陸に滑走路を整備し、ビーバー機「昭和号」のフロートをスキーに交換する。

1958年2月10日午後3時45分、天候が回復してきたため、ビーバー機「昭和号」が離陸。昭和号は3往復して、第1次越冬隊の隊員3名を南極観測船「宗谷」へ収容する。

1958年2月11日午前5時30分より、ビーバー機「昭和号」の整備および輸送の準備を開始し、午前7時15分に第1便が離陸する。

1958年2月11日はビーバー機「昭和号」が4往復し、隊員8名と三毛猫タケシとカナリヤ2羽を収容。2月11日午後6時5分に第1次越冬隊の収容作業を完了する。

1958年2月12日、ビーバー機「昭和号」は3往復し、第2次越冬隊3名(守田康太郎・丸山八郎・中村純二)および物資を昭和基地へ送ったところで、天候の悪化により輸送は午前で中止となる。

1958年2月13日、バートンアイランド号のブラッチンガム艦長から離岸勧告がある。宗谷は満身創痍となっており、単独では外洋へ脱出できず、下ろした荷物の積み込み作業を始まる。

1958年2月14日午後4時30分、第2次南極観測隊の操縦士・森松秀雄がビーバー機「昭和号」で離陸。第2次越冬隊3名(守田康太郎・丸山八郎・中村純二)ともに子犬2匹と母犬シロ子を収容した。

母犬シロ子を載せると積載量をオーバーするため、森松秀雄は飛行機からガソリンを抜いて、母犬シロ子を回収するに至った。

1958年2月17日、バートンアイランド号の後について宗谷が外洋に脱出。ビーバー機「昭和号」が離着陸に適した氷原を探すが見つからず、悪天候のため、北上して待機する。

1958年2月22日、日本の南極地域観測統合推進本部より、「24日までに空輸が出来ない場合は帰国せよ」との指示がある。

1958年2月23日、第2次南極観測船「宗谷」は再び、昭和基地に接近し、外洋から空輸をするため、天候の回復を待つが、天候は回復せずに南極観測隊の隊長・永田武は1958年2月24日正午に越冬を断念した。

■第3次南極観測船「宗谷」の搭載機
水上飛行機「昭和号」(DHC-2型ビーバー機)1機
ヘリコプター(ベル47G2型)2機
軍用ヘリコプター(シコルスキーS58型)2機

■第3次南極観測隊とヘリコプター
第2次南極観測隊の失敗から、南極観測船「宗谷」が昭和基地に接近できる限界距離を140kmと想定し、主力の輸送手段を空輸とした。

候補となったのは、大型ヘリコプター「バートルバートル V44型」と「シコルスキーS58型」の2機種だった。

調査やテスト飛行の結果、バートルバートル V44型の方が風に強かったが、シコルスキーS55型で実績を有していたシコルスキーS58型に決定した。

大蔵省は小さいヘリコプター「シコルスキーS55型」なら認めるということであったが、越冬隊の規模を縮小しないために、シコルスキーS58型で押し通し、シコルスキーS58型2機の予算を勝ち取った。

シコルスキーS55型以下のヘリコプター砕氷艦に搭載する国はあるが、シコルスキーS58型レベルの大型ヘリコプターを搭載するのは日本が初めての試みであった。

このため、第3次南極観測船「宗谷」は飛行甲板を拡張して、空母機能を強化。シコルスキーS58型は、ガソリンの消費が激しいため、ガソリンを海水に浮かせるど、大幅な改造を行った。

この結果、第3次南極観測隊では、大型ヘリコプター「シコルスキーS58型」2機が58往復し、第3次越冬隊14名と物資57トンを昭和基地へ輸送し、第3次越冬隊の成立に貢献した。

■飛行機の離着陸の方法
南極観測船「宗谷」は前甲板に飛行機(セスナ機・ビーバー機)を搭載していたが、飛行機は宗谷から直接飛び立つ事はできない。

宗谷の前甲板には「デリック」(クレーンの1種)が有り、このデリックで飛行機を水上や氷上へ降ろし、水上や氷上で離着陸をする。格納するときは、再びデリックで飛行機を釣り上げる。

水上で離着陸するときは飛行機の脚をフロートに変更し、氷陸で離着陸するときは飛行機の脚をスキー(ソリ)へ変更する。

水上から離陸した場合は水上にしか着陸できず、氷陸から離陸した場合は、氷の上にしか着陸できない。

スキー付きの飛行機を飛ばすときは、滑走路に利用できる大きさの氷陸を探し、その氷陸に接岸する。そして、氷上に滑走路を整備して、滑走路から飛行機は飛び立つことになる。

第2次南極地域観測隊が樺太犬タロ・ジロを昭和基地に置き去りにした経緯については、「樺太犬タロ・ジロ・リキを昭和基地に置き去りにした経緯」をご覧ください。

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