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本当は死んでいた!樺太犬タロジロの真実

実話「南極物語」のあらすじとネタバレの都市伝説シリーズ「生きていた!樺太犬タロジロの真実」です。


以前に「樺太犬タロジロは死んでいた」という都市伝説を紹介した。今回は都市伝説「樺太犬タロジロは死んでいた」を補足する話しとして、都市伝説「本当は死でいた!樺太犬タロジロの真実」を紹介する。

(できれば、南極都市伝説「樺太犬タロジロは死んでいた」と併せてご覧ください。)

第2次南極観測隊が第1次越冬隊全員を南極観測船「宗谷」に収容し、外洋へ一時撤退することが決まった頃から、犬殺し批判がわき起こっていた。

第2次南極観測隊には、共同新聞の吉田基二と、朝日新聞の疋田桂一郎の2名が報道担当として参加しており、南極観測船「宗谷」の状況は日本で大きく報じられていたからである。

南極観測隊の家族の自宅に脅迫電話や投石もあり、警察が家の周囲を警護する事態に発展していた。なかには、犬殺し批判により、ノイローゼになった家族も居るという。

やがて、日本各地に樺太犬の慰霊碑などを建立することで、犬殺し批判は一応、落ち着いたのだが、その後も南極観測隊は樺太犬の話題に神経を尖らせていた。

そのようななか、第3次南極観測隊は樺太犬を南極の昭和基地へ連れて行くのだが、犬殺し批判が再燃するのを恐れて、樺太犬のことは公表せずに、秘密裏に第3次南極観測船「宗谷」へと持ち込んだ。

実話としては、第3次越冬隊の隊長・村山雅美が生後3ヶ月の樺太犬の小犬3頭(アク・トチ・ミヤ)を、段ボールの空箱に入れ、荷物に偽装して第3次南極観測船「宗谷」に持ち込んだことになっている。

しかし、北海道大学の犬飼哲夫は著書で「密かに成犬5頭と小犬3頭を宗谷に運び込み」と記しているのだ。

北海道大学の犬飼哲夫は、第1次越冬隊の隊長・西堀栄三郎に頼まれて、南極観測隊のために北海道で樺太犬を集めた人で、樺太犬を訓練した「南極学術探検隊・樺太犬訓練所」の責任者でもある。

犬飼哲夫の記録と、実話とされている記録は、小犬の数は一致しているが、成犬の数が一致していない。

これは、犬飼哲夫は樺太犬8頭を送ったのだが、村山雅美が受け取った樺太犬は小犬3頭だけと解釈できる。成犬5頭についての記録は見つからない。

この行方が分からない成犬5頭のうちの2頭が、樺太犬タロ・ジロの替え玉になったのではないか、と噂されている。これが、都市伝説「樺太犬タロ・ジロは死んでいた」の真相につながるのだ。

南極で起こったことは、隊員が箝口令を敷けば事実は報道されなし、記録も残らない。越冬隊員が明かさなければ、真実は明らかにならないのだ。

実際に、第1次南極観測隊の佐伯栄治ら5人が密かに南極大陸へ上陸していた事実も、第4次越冬隊が南極で豚を飼育していた事実も、第9次越冬隊の村越望が樺太犬リキの死体を発見していた事実も、全て正式に発表された事実ではない。

これらは、数十年後に南極観測隊員や関係者が、告白して始めて明るみに出た真実である。

現時点では樺太犬タロ・ジロは生存していたことになっているが、いつか、替え玉を考えた黒幕の残した記録が出てきて、樺太犬タロ・ジロの真相についても、明らかになる日が来るかもしれない。

樺太犬タロ・ジロは本当は死んでいた。この都市伝説を信じるか信じないかは貴方、次第である。

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