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会津藩の平松武兵衛

山本八重(新島八重)の生涯をあらすじで紹介する実話「山本八重の桜」のあらすじとネタバレシリーズ「会津藩の平松武兵衛」編です。


このページは「川崎尚之助と内藤新一郎と小森沢長政のあらすじとネタバレ」からの続きです。

実話「山本八重の桜」の目次は『実話「山本八重の桜」のあらすじとネタバレ』をご覧ください。

■東北の武器商人スネル兄弟
軍制改革を行っていた会津藩の家老・梶原平馬は、長岡藩(新潟県)の家老・河井継之助の紹介により、武器商人スネル兄弟と知り合い、弟のエドワルド・スネルから洋式銃などを購入して武器を整えた。

薩摩藩・長州藩を支えた武器商人トーマスグラバーに対し、会津藩や奥羽越列藩同盟を支えたのが武器商人スネル兄弟である。

スネル兄弟はオランダ人とされているが、詳しい素性は分からない。元々は武器商人ではなく、ドイツ領事の書記官として来日し、来日後に武器商人に転身している。

兄のジョン・ヘンリー・スネルは会津藩の家老・梶原平馬に招かれ、会津藩の軍事顧問に就任する。藩主の松平容保は、兄のジョン・ヘンリー・スネルに「平松武兵衛」の名前を与え重用した。

過去には、織田信長が黒人に「弥助」という名前を与えて登用している。また、蒲生氏郷はイタリア人に「山科勝成」という名前を与えて、登用しており、外国人に名前を与えて登用することは珍しいことでは無い。

■新潟港事件
一方、弟のエドワルド・スネルは上海や香港から新潟港へ武器を輸入し、会津藩や奥羽越列藩同盟に武器や弾薬を売って支援した。

弟のエドワルド・スネルの武器輸入により、新潟港が会津藩ほか奥羽越列藩同盟の唯一の武器・弾薬の補給路になっていた。

このとき、新潟港は会津藩が統治していた。新潟港は元々、江戸幕府直轄の領地だったが、鳥羽伏見の戦いで敗れた江戸幕府は統治力を失ったため、直轄地を各藩に預けた。

この時に、会津藩が得たのが新潟港であった。陸に囲まれて港を持たない会津藩は、以前から新潟港を欲しかったおり、ついに念願の新潟港を手に入れるたのだ。

しかし、新潟港の住民は会津藩に統治されることを嫌がり、旧領主の米沢藩・上杉家に統治を求めた。この結果、新潟港は米沢藩が中心となって守ることになった。

上杉家は米沢に転封となったが、上杉謙信の時代には越後(新潟)を統治していた。このため、新潟港統治に関するトラブルから、米沢藩士のなかには、会津藩のことを快く思わないものも居た。

そのうちの1人が米沢藩の参謀・甘粕継成だとされている。ちなみに、数十年後、山本八重は、米沢藩の参謀・甘粕継成の孫娘・甘糟初子を養女にしている。

■越後戦線の崩壊
新政府軍は太平洋側と日本海側の両面から会津へ侵攻しており、北陸道鎮撫総督府が日本海側(北陸方面)から会津を目指していた。

米沢藩が中心となり新潟港を統治するなか、新発田藩(新潟県新発田市)は、奥羽越列藩同盟を裏切って新政府軍へ寝返り、北陸道鎮撫総督府を招き入れた。

新発田藩は元々、勤王派(新政府側)だったが、小藩だったゆえに、軍事力に屈して奥羽越列藩同盟に加盟していただけだった。

新潟港は唯一の武器補給路だったため、米沢藩は必死に抵抗するが、新政府の北陸道鎮撫総督府に新潟港を奪われてしまう。

新政府軍に捕らえられたスネル兄弟は直ぐに釈放されたものの、会津藩や奥羽越列藩同盟は唯一の武器・弾薬の補給路を失ってしまうのであった。

実話「新島八重の桜」の会津編「白河口の戦い-白河城の奪還作戦のあらすじとネタバレ」へ続く。

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