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若松城への総攻撃-山本八重の反撃と坂井日清の怨敵退散

山本八重(新島八重)の生涯をあらすじで紹介する実話「山本八重の桜-会津戦争編」のあらすじとネタバレシリーズ「会津若松城への総攻撃-山本八重の反撃と坂井日清の怨敵退散」編です。


このページは「米沢藩の仙台藩の降伏-奥羽越列藩同盟の崩壊のあらすじとネタバレ」からの続きです

実話「山本八重の桜」の目次は『実話「山本八重の桜」のあらすじとネタバレ』をご覧ください。

■実話-会津若松城の総攻撃
米沢藩や仙台藩が降伏し、奥羽越列藩同盟が消滅すると、各地を平定した新政府軍の各方面の部隊が続々と会津に集結した。会津に集まった新政府軍の兵力は数万に上ったという。

新政府軍は会津若松城を包囲し、急所となる小田山からの砲撃を加えたが、難攻不落の名城・会津若松城は落とすことが出来ず、籠城する会津兵も士気が盛んであった。

雪が降れば、西国の長州藩・薩摩藩を中心とする新政府軍が不利になる。既に11月(旧暦10月)も目前に迫っており、冬が来る前に決着を付けるため、新政府軍は会津若松城に総攻撃をかけることにした。

新政府軍は総攻撃の直前に、会津若松城の南方の包囲を緩め、会津藩のために逃げ道を作ったという。

逃げ場を失った敵は死にものぐるいで反撃するため、逃げ道を作っておくのが兵法の常道手段であった。

■会津若松城への総攻撃を開始
1868年10月29日(慶応4年9月14日=籠城22日目)、小田山・三日町口・甲賀町口など7カ所にストロング砲や四斤方を約50門配置した新政府軍は、会津若松城に総攻撃を開始した。

新政府軍の総攻撃は、小田山からの砲撃を皮切りに、朝6時から夕方6時まで三日間にわたり続いた。会津若松城には1日に1000発から2000発の砲弾が降り注いだという。

■川崎尚之助と敢死隊
会津藩は白虎隊や玄武隊などの正規軍の他に、農民などから兵士を募集した部隊が存在した。そのなかに敢死隊(かんしたい)という部隊がある。

敢死隊は、1868年(慶応4年)に新錬隊長・土屋鉄之助の提言により、募集した農民などで編成した部隊である。その敢死隊の最後の隊長が山本八重の夫・川崎尚之助なのだ。

敢死隊は奇勝隊などと共に、十六橋を爆破する任務を担当したが、十六橋を破壊していたところに、休息を取らずに進軍してきた新政府軍の薩摩藩士・川村与十郎が現れ、十六橋を奪われた。

敗走した敢死隊は戸ノ口原で本陣と合流し、戸ノ口原付近にある菰槌山(こもづちやま)に布陣して、新政府軍を迎え撃った。

このとき、敢死隊は白虎隊(士中二番隊)と合流し、食糧を携帯していなかった白虎隊(士中二番隊)に食糧を分け与えている。

会津藩は戸ノ口原で新政府軍を迎え撃ったが、洋式銃を持つ新政府軍を食い止めることが出来ずに敗走する。

敗走する敢死隊は、途中で佐川官兵衛の部隊と合流することができたため、無事に若松城までたどり着けた。そして、若松城へ入城した敢死隊は、若松城の豊岡社で守備にあたった。

この敢死隊を指揮して豊岡を守るのが、山本八重の夫・川崎尚之助である。敢死隊の隊長・小原信之助は戸ノ口原の戦いで死去しており、その後は川崎尚之助が敢死隊の隊長を務めていたのだ。

■川崎尚之助の反撃
若松城にある豊岡の砲台には四斤山砲があった。川崎尚之助は敢死隊を率いて豊岡を守り、豊岡から四斤山砲で小田山に布陣する新政府軍に向けて砲撃した。

山本八重も川崎尚之助を助けて大砲を放ち、小田山の新政府軍に命中させた。荒川勝茂は、大砲を撃つ山本八重のことを「流石は砲術師範の家の女なり。大砲を発する業、誤らず敵中へ破裂する」と感心した。

しかし、会津藩は籠城戦の準備をしていなかったため、やがて、四斤山砲の弾は底を突いてしまう。四斤山砲はスペンサー銃と同様に、若松城では弾を製造することが出来なかったのだ。

川崎尚之助は最後の2発を小田山の新政府軍に命中させ、新政府軍の攻撃を沈黙させた。

しかし、新政府軍の総攻撃を食い止めることは出来ず、新政府軍は若松城の外郭を突破し、内郭へと雪崩れ込んだのであった。

■実話-坂井日清の怨敵退散
新政府軍の総攻撃が始まると、大法寺の僧侶・坂井日清が若松城の天守閣で、日夜休むこと無く、「怨敵退散」を祈願する読経を続けた。
激しい砲撃を受けても、怨敵退散の読経が止まることはなく、おどろおどろしいお経は連日続き、若松城から聞こえてくる読経に新政府軍も恐怖したという。

■実話-山本八重の心配事
山本八重が籠城戦で最も心配したのは、トイレだった。クイズ番組の影響で、若松城が落城した理由は「城内の糞尿の処理に困ったため」という説が流れたが、山本八重が心配したのは糞尿の溜まり具合ではない。

トイレで排泄している時に大砲の弾が当たれば、会津女として無様な姿をさらして死ぬ事になるため、山本八重はトイレで排泄をしている時に大砲の弾が飛んでくることを心配していたのだ。

山本八重は死ぬのであれば、トイレで醜態をさらして死ぬのではなく、思う存分、敵と戦って死にたいと考えていた。

実話「新島八重の桜」の会津編「実話-山川トセの焼玉押さえのあらすじとネタバレ」へ続く。

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