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山本覚馬と小田時栄(おだ・ときえ)

NHK大河ドラマ「八重の桜」のモデルとなる新島八重(山本八重)の生涯をあらすじで紹介する実話「新島八重の桜-京都編」のあらすじとネタバレシリーズ「山本覚馬と小田時栄(おだ・ときえ)-山本八重との再会」編です。


このページは「実話-山本覚馬のあらすじとネタバレ」からの続きです。

実話「新島八重の桜-京都編」の目次は『実話「新島八重の桜」のあらすじとネタバレ』をご覧ください。

■山本覚馬の愛人・小田時栄は16歳
1869年(明治2年)、幽閉から釈放された山本覚馬(42歳)は、京都で小田時栄(おだ・ときえ)という16歳の少女と同棲を始めた(明治時代に淫行条例のような法律は無いので合法である)。

小田時栄(おだ・ときえ)は小田勝太郎の妹で、目を悪くした山本覚馬の身の回りの世話をし、山本覚馬の目の代わりとなって、山本覚馬の京都時代を支えてきた少女である。

小田時栄は幽閉中も薩摩藩の許可を得て、山本覚馬の世話を続けており、釈放後も山本覚馬と一緒に暮らしていたのである。

■山本覚馬の引っ越し
1871年(明治4年)、京都府の顧問となった山本覚馬は、京都府の大参事・槇村正直の自宅の隣にある空き家へ引っ越した。

山本覚馬が住むことになる空き家は、江戸幕府15代将軍・徳川慶喜の妾「お芳」の父親で、江戸の町火消しとして有名な新門辰五郎が京都滞在中に住んでいた豪邸(新門辰五郎邸)である。

大参事の槇村正直は、山本覚馬を「山本先生」と呼んで慕っており、槇村正直が山本覚馬に、自宅の隣の空き家を勧めたという。山本覚馬に対する信頼の程がうかがえる。

(注釈:小田時栄の兄・小田勝太郎が、山本覚馬に新門辰五郎邸を斡旋したという説もある。)

山本覚馬への期待はかなりのもので、山本覚馬の月給は30円であったが、後に45円へと昇級している。

新門辰五郎邸は敷地面積は100坪ほどあり、台所の他に5室ある豪邸で、山本覚馬は36円で新門辰五郎邸を購入し、小田時栄と住み始めたのである。

このようななか、会津から妹・山本八重や母「山本佐久」と「山本みね」の3人がやってくる。山本八重らが京都に着いたのは、山本覚馬の引っ越しも終わり、新居での生活も落ち着いた1871年(明治4年)10月の事であった。

■山本八重が山本覚馬と再会
1871年(明治4年)10月、兄の山本覚馬を頼って上洛した山本八重らが京都の山本覚馬の自宅に到着する。山本八重らは応対に出た少女・小田時栄の案内で屋内へ入り、山本覚馬と再会する。

山本覚馬は、1862年に会津藩主・松平容保が京都守護職に就任した事に伴い、京都勤務となり、会津を出ていた。そのとき以来の再会なので、9年ぶりの再会である。

山本覚馬が会津を発つ少し前に、娘の「山本みね」が生まれたばかりだったが、赤子だった「山本みね」は、すっかりと大きくなっていた。

娘の「山本みね」は山本八重と一緒に京都へ来たが、山本覚馬は我が子の成長を見ることが出来なかった。山本覚馬は「禁門の変(蛤御門の変)」で目を負傷しており、盲目となっていたのだ。

山本八重はすっかりと変わり果てた、兄・山本覚馬に驚いていた。山本覚馬は盲目となったうえ、腰を痛めて歩けなくなっていたのだ。

■山本うら(樋口うら)との離婚
山本覚馬と再会した母・山本佐久は、山本覚馬に重い口を開かなければならなかった。妻「山本うら(樋口うら)」の件である。

母・山本佐久が、妻「山本うら(樋口うら)」が離縁を望んで仙台に残った事を伝えると、山本覚馬も母・山本佐久に愛人の小田時栄(おだ・ときえ)を紹介した。

山本覚馬が紹介した小田時栄は、山本八重らが山本家に就いたとき、応対に出た少女だった。山本八重らは、使用人かと思っていた少女・小田時栄が愛人だったことに驚く。

このとき、山本覚馬は44歳で、愛人の小田時栄(おだ・ときえ)は18歳だった。山本八重の年齢は26歳なので、山本覚馬は妹の山本八重よりも若い愛人と暮らしていたのである。

通説によると、このとき、山本覚馬は小田時栄との間に、山本久栄という娘が生まれており、山本八重を驚愕させたという。

注釈:小田時栄は愛人だったため、娘・山本久栄の誕生日の記録は残っていない。山本久栄の死亡日と死亡した年齢から逆算すると、生まれた年は1871年(明治4年)となるため、山本八重らが京都へ来たとき、山本久栄は生まれていたとされている。

山本覚馬は妻「山本うら(樋口うら)」が離婚を望んで仙台に残ったことを知ると、山本覚馬は妻「山本うら」と離婚し、愛人の小田時栄と結婚した。

また、山本八重が、父・山本権八や弟・山本三郎が死んだことを伝えると、山本覚馬は夜な夜な、山本八重に若松城籠城戦の様子を話すように頼んだ。

こうして、山本八重は京都で山本覚馬らと暮らすことになったのである。

実話「新島八重の桜」の京都編「実話-山本覚馬とカール・レーマンのあらすじとネタバレ」へ続く。

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