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新島襄の名前の由来や理由

NHK大河ドラマ「八重の桜」のモデルとなる山本八重の生涯をあらすじとネタバレで紹介する「実話-山本八重の桜」シリーズの番外編「新島襄の名前の由来」のネタバレです。


■新島の名前の由来
新島家は曾祖父の代まで「中島」という姓だったが、曾祖父が事件を起こして失踪したため、中島家は冷遇された。そこで、祖父の新島弁治の代に「新島」という姓にあらためた。

「新島」の由来にも諸説があるが、一説によると、「新しい中島」という意味があるのではないかとされている。

■新島七五三太の名前の由来
新島襄は、1843年2月13日(天保14年1月14日)に江戸の上州安中藩屋敷で、下級藩士の新島民治(にいじま・たみじ)の長男として生まれた。

新島襄という名前は、アメリカから帰国した後に改名した名前で、幼名は「新島七五三太(にいじま・しめた)」という。

新島襄の誕生日は天保14年1月14日で、この日はしめ飾りを外す日だった。しめ飾りを外す日の早朝に生まれたため、新島襄は「七五三太」と名付けられた。

しかし、新島襄は、女の子4人が続いた後、ようやく生まれた長男で、祖父の新島弁治が待望の男児の誕生を喜び、「しめた」と叫んだことから、「七五三太(しめた)」と名付けられたという説が広まった。

■新島敬幹
新島七五三太は幼名で、元服後は「新島敬幹」と名乗った。「敬幹」は諱(いみな)なので、元服後も「七五三太」も使用した。

新島襄がアメリカ時代に受け取った留学免許状は、「新島七五三太」の名義になっている。

■ジャパニーズ・ボーイと呼ばれた新島襄
函館から上海へ向かうアメリカ船「ベルリン号」に乗り込んで密出国(脱国)した新島敬幹(新島襄)は、上海でアメリカへ帰国するアメリカ船「ワイルド・ローバー号」に乗り換えて、アメリカへ向かった。

上海からアメリカまでの航海中、新島敬幹(新島襄)は、ワイルド・ローバー号の船長ホレイス・テイラーから「ジャパニーズ・ボーイ」と呼ばれていた。

注釈:新島敬幹(新島襄)の手記によると、新島襄は新島襄船長ホレイス・テイラーから「ジョー(Joe)」と呼ばれていた。

■ジョー・ニイシマの由来
アメリカのボストンに到着した新島敬幹(新島襄)は、船長ホレイス・テイラーにワイルド・ローバー号の船主ハーディー夫妻を紹介してもらう。

ハーディー夫妻はボストンでも有数の資産家で、熱心なキリスト教(会衆派)の信者だった。ハーディー夫妻は、これまでにも何人かの若者を支援していたが、投げ出す者が多く、若者への支援を諦めていた。

しかし、ハーディー夫妻は、新島敬幹(新島襄)がつたない英語で書いた密出国(脱国)の動機を書いた手紙を読み、支援することを決めた。

そこで、ハーディー夫妻は船長ホレイス・テイラーに、新島敬幹(新島襄)の名前を尋ねた。

船長ホレイス・テイラーは船中で、新島敬幹(新島襄)のことを「ジャパニーズ・ボーイ」と呼んでいたため、困って「ジョン(john)」と答えた。

ジョン(john)には恥辱の意味もあったため、ハーディー夫妻は新島敬幹(新島襄)を「ジョセフ」と名付けた。

以降、新島敬幹(新島襄)はアメリカで「ジョセフ・ニイシマ(Joseph Neesima)」を名乗るようになる。

署名するときなどは、ハーディー家の一員であることを示すため、「ジョセフ・ハーディー・ニイシマ(Joseph Hardy Neesima)」を名乗った。

■新島襄はニイシマかニイジマ問題
新島襄はアメリカ時代「Neejima(ニイジマ)」ではなく「Neesima(ニイシマ)」と表記していた。

新島襄は宣教師に「Neejimaに直すべきだ」と指摘されているので、当時は「ニイジマ」と発音していたようだ。

新島家は元々「中島」という姓だったので、この点から考えても新島は「ニイジマ」で間違いないだろう。

しかし、新島襄は宣教師に「Neejimaに直すべきだ」と指摘された後も、「Neesima(ニイシマ)」という表記を続けている。

なお、同志社の資料は、現在は「にいじま・じょう」とルビを振っているが、以前は「にいしま・じょう」とルビを振ることもあった。

また、漢字での表記は「新島」の他にも、「新嶋」「新嶌」などの表記されることもある。新島襄の戸籍では「新嶌」となっている。

■新島約瑟を名乗る
密航者だったジョセフ・ニイシマ(新島襄)は、アメリカ滞在中に少弁務使(駐米公使)の森有礼と出会い、森有礼の協力により、留学免許状を発行してもらい、正式な留学生という身分になる。そして、パスポートも用意してもらい、帰国の道が開ける。

1874年(明治7年)11月26日、牧師と準宣教師との資格を得たジョセフ・ニイシマ(新島襄)が10年ぶりに帰国する。

ジョセフ・ニイシマは帰国後、ジョセフに「約瑟(翰夫)」という漢字を当て、「新島約瑟」と名乗った。「約瑟」とは、聖書に登場する「ヨセフ」の漢訳聖書での表記である。

■新島襄の由来
帰国後は「新島約瑟」と名乗っていたが、ジョセフの当て字「約瑟」が難しいため、「新島譲(にいじま・じょう)」と名乗った。

譲(Joe)は、聖書に登場する「ヨセフ(Joseph)」からアルファベット3文字を取った名前だという。

その後、松山高吉の助言により、「譲」から「襄」へと変更して「新島襄」と名乗り、実家がある群馬県から京都府へ戸籍を移す時に「新島襄」へと改名し、正式に新島襄となった。

実話「新島八重の桜」のあらすじとネタバレについては「実話「新島八重の桜」のあらすじとネタバレ」をご覧ください。

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