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新島襄はフリーメーソン

歴史に埋もれた都市伝説を紹介する都市伝説シリーズの第2弾「同志社を設立した新島襄はフリーメーソンのメンバーだった」です。


都市伝説シリーズ第1弾の「南極物語のタロ・ジロは死んでいた」は「南極物語の都市伝説-樺太犬のタロ・ジロは死んでいた」をご覧ください。

■新島襄はフリーメーソンだった
HNK大河ドラマ「八重の桜」の主人公となる山本八重(新島八重)の2番目の夫・新島襄はフリーメーソンという都市伝説がある。今回は新島襄のフリーメーソンの都市伝説を紹介する。

吉田松陰は密航に失敗したが、なぜ、新島襄は密航に成功したのか。国禁を犯して脱国し、犯罪者となった新島襄が、なぜ帰国できたのか。

どうして、新島襄はキリスト教主義学校を建設するための巨額の費用を得ることができたのか。それは、新島襄がフリーメーソンのメンバーだからだと言われている。

さて、新島襄がフリーメーソンだということを紹介するためには、フリーメーソンのメンバーだったジョン万次郎(中濱萬次郎)のことから話さなければならない。

土佐藩(高知県)出身のジョン万次郎は、漁師として働いていた少年時代に船が難破して漂流していたところを、アメリカの捕鯨船「ジョン・ハウランド号」に助けられ、アメリカへと渡った。

ジョン万次郎は捕鯨船「ジョン・ハウランド号」の船長ウィリアム・ホイットフィールドに引き取られて、アメリカの学校に通い、航海術や数学を学んで、副船長にまで出世した。

やがて、ジョン万次郎は帰国することにする。帰国するには大金が必要になるのだが、ジョン万次郎は短期間で大金を手にしている。

通説では、ジョン万次郎はゴールドラッシュに沸くサンフランシスコで金を採掘して帰国の費用を手に入れたことになっているが、本当は、フリーメーソンが帰国費用を出したと言われている。

ジョン万次郎が帰国した年が1851年である。ちょうど、ペリーの黒船がが浦賀に来航したのが1853年のことなので、1851年の日本は鎖国状態にあった。

フリーメーソンは鎖国をしている日本への進出を虎視眈々と狙っており、フリーメーソンは日本を開国させるためにジョン万次郎を日本に送ったと言われている。

■ジョン万次郎と坂本龍馬
坂本龍馬がフリーメーソンだったという都市伝説は有名だ。坂本龍馬をフリーメーソンに入れたのが、同じ土佐藩出身のジョン万次郎だと言われている。

坂本龍馬は元々、尊皇派だったのだが、帰国したジョン万次郎からアメリカの話しを聞き、開国派に転じ、フリーメーソンに加わった。

ジョン万次郎は、アメリカの難関大学バーレット・アカデミーを卒業したほど優秀だったが、土佐の漁師の家に生まれたため、日本語は話せても、読み書きは十分ではなかった。

ジョン万次郎は開国派に大きな影響を与えているのだが、読み書きは十分ではなかったため、政策を提言するフィクサー的な存在だった。

幕末史にジョン万次郎の名前はあまり登場しないが、裏舞台ではかなり活躍している。

坂本龍馬が建白した「船中八策」も、ジョン万次郎の意見を元にして作られたと言われている。

その証拠に、「船中八策」には「金銀物貨宜しく外国と平均の法を設くべき事」という政策がある。これは、外国で生活しなければ分からないことなので、ジョン万次郎が船中八策の作成に加わった証拠なのだ。

■トーマス・グラバーとフリーメーソン
ここで、フリーメーソンとして有名な長崎の武器商人トーマス・グラバーについても話しておかなければならない。長崎のグラバー邸で有名なトーマス・グラバーである。

長崎のグラバー邸には、フリーメーソンの印である定規とコンパスの印がある。グラバー邸の屋根裏には隠し部屋などもあり、武器商人トーマス・グラバーがフリーメーソンであることは有名な話しだ。

(もちろん、高知県足摺岬にあるジョン万次郎の像にも、フリーメーソンの印である定規とコンパスの印がある。)

武器商人トーマス・グラバーは、坂本龍馬が設立した亀山社中を経由して、長州藩や薩摩藩に武器弾薬を供給しており、トーマス・グラバーと坂本龍馬は繋がっていた。

トーマス・グラバーは武器弾薬の供給の他に、藩士の留学も支援している。トーマス・グラバーが留学を支援した中の1人に、薩摩藩士の森有礼(もり・ありのり)が居る。

森有礼は新島襄に大きな影響を与えるので、トーマス・グラバーと森有礼の関係について覚えておいて欲しい。

■新島襄とジョン万次郎
さて、ジョン万次郎の話に戻る。ジョン万次郎はスパイなどの容疑をかけられて苦労した後、江戸幕府が開設した学校「軍艦教授所」の教授として登用される。

ジョン万次郎が軍艦教授所で航海術や数学を教えていた時の生徒の中に新島襄が居たのである。

新島襄はアメリカから帰国後に名乗った名前で、当時は新島七五三太(にいじま・しめた)と言う。諱(いみな)は「敬幹」というので、「新島敬幹」と表記する場合もある。

元々、新島七五三太(新島襄)は安中藩士としての仕事(右筆補助=書記)が嫌で、常々、脱藩しようと考えていたが、両親の存在があったため、我慢していた。

しかし、宣教師ブリッジマンが漢語でアメリカの歴史について書いた「連邦志略」を読み、大統領制度などのあるアメリカに強い興味を持ったうえ、漢訳聖書の小冊子を読んで「天父(神)」の存在を認めて脱国を考えるようになっていた。

そのようななか、新島七五三太(新島襄)は学校「軍艦教授所」に通うようになり、ジョン万次郎と出会ったのである。

表向きにジョン万次郎の名前は出ていないが、新島七五三太(新島襄)に脱国の方法を教え、脱国の手はずを整えたのは、フリーメーソンのジョン万次郎である。

吉田松陰が密航に失敗したが、新島七五三太(新島襄)が密航に成功したのは、フリーメーソンが支援したからだとされている。

■新島七五三太(新島襄)の脱国
備中松山藩の所有する西洋船「快風丸」に乗って札幌に着いた新島七五三太(新島襄)は、脱国を援助してくれる重要な人物・福士卯之吉(ふくし・うのきち)に会う。

福士卯之吉は、イギリスの貿易会社「アレクサンダー・ポーター商館」で番頭を務めていた人物で、新島七五三太(新島襄)の脱国の準備を整えた恩人である。

新島七五三太(新島襄)に福士卯之吉を紹介したのが、土佐藩出身の沢辺琢磨だった。沢辺琢磨は、フリーメーソン坂本龍馬の従兄弟である。

新島七五三太(新島襄)は福士卯之吉の協力より、アメリカ船「ベルリン号」に乗って脱国し、上海へ向かった。そして、上海でアメリカ船「ワイルド・ローバー号」に乗り換え、アメリカへ向かった。

この船の乗り換えなども、海外の船の位置を正確に把握していなければできないため、フリーメーソンの協力によるものだとされている。

都市伝説-同志社を設立した新島襄はフリーメーソンだったの後半」へ続く。

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