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実話-新島八重の改宗疑惑と竹田黙雷

2013年のNHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公となる新島八重(山本八重)の生涯をあらすじとネタバレで紹介する実録「新島八重の桜」の京都編「実話-新島八重の改宗疑惑と竹田黙雷」です。


このページは「実録-新島八重と田中滋野との朝風呂勝負のあらすじとネタバレ」からの続きです。

実話「新島八重の桜」の目次は『実話「新島八重の桜」のあらすじとネタバレ』をご覧ください。

■新島八重の改宗疑惑
新島八重は新島邸に作った茶室「寂中庵」で女性に茶道を教える一方で、毎月3度、お茶会を開いていた。

夫・新島襄や兄・山本覚馬が様々な活動をしていた関係もあり、新島八重の茶会には九鬼家をはじめ、様々な人が訪れた。そして、この茶会には、建仁寺の和尚・竹田黙雷(たけだもくらい)の姿もあった。

新島八重は晩年、茶会を通じて竹田黙雷と親交を深め、禅の教えに安らぎを感じるようになっていた。

そのようななか、新島八重は竹田黙雷に教えを請うが、竹田黙雷は「貴女は耶蘇(キリスト教)で固まっているから、教えることは無い。でも、遊びに来なさい」と答えた。

これ以降、新島八重は、京都にある建仁寺で毎月4度開かれる提唱日に必ず参加し、竹田黙雷の説法を聞くようになった。

建仁寺に通い、竹田黙雷の説法を聞くようになった新島八重は、やがて、竹黙田雷から袈裟と安名(あんみょう=法名)「寿桃大師」を貰った。禅宗では、袈裟や安名には認定書のような意味合いがある。

このため、1930年(昭和5年)になると、「山本八重はキリスト教から仏教(禅宗)に改宗した」という改宗(帰依)疑惑が浮上した。新島八重の改宗疑惑は、新聞で報じられ、アメリカにまで伝わっり、背世間を騒がせた。

しかし、渦中の人となった新島八重は、京都新聞の取材に対して「ひとつの宗教に籍を置いているからといって、他の宗教のお話を聞いてはいけないということにはならないでしょう」と答え、改宗疑惑を相手にしなかった。

新島八重の改宗疑惑の真相は不明だが、同志社の卒業生が新島八重に真相を尋ねた結果、新島八重の改宗疑惑は「茶友達としての交友から生まれた誤解」ということになっている。

■新島八重と日新館童子訓
新島八重はキリスト教へ入信したが、会津時代、儒教(朱子学)をベースにした日新館童子訓を学んで育っており、新島八重の基礎は日新館童子訓にある。

新島八重は京都でキリスト教の洗礼を受けたが、日新館童子訓の教えを捨てたわけでは無かった。新島八重は老齢になっても日新館童子訓を暗唱できたほど、会津時代の教えが根付いていた。

新島八重が同志社女学校で教鞭を執っていた時も、会津藩校「日新館」でも教えていた小笠原式古礼法を教えていたため、同僚の女性宣教師スタークウェザーは新島八重のことを「反キリスト教的な考え方が根付いている」と非難していた。

新島八重はキリスト教に入信しても、会津時代の教えを捨てていなかったため、「右手に日新館童子訓、左手に聖書を持っていた」と評されることがある。

実話「新島八重の桜」の京都編「実話-八重の桜-最終回のあらすじとネタバレ」へ続く。

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