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秦桐若の生涯

2014年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の主人公となる黒田官兵衛の生涯を実話で描く実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレの黒田家臣伝「秦桐若(はたのきりわか)の生涯」です。


■秦桐若(はたのきりわか)のwiki
秦桐若(はたのきりわか)は黒田官兵衛の家臣で、黒田家で初めて首供養を行った武将である。黒田家を代表する豪傑だったが、有馬温泉の湯を飲んで死んだ。

■秦桐若の生涯
秦桐若(はたのきりわか)は播磨国の人間で、黒田官兵衛に仕えていくつもの軍功を挙げた。健康にして10人力で、戦に出る度に敵を退けること、塵を筆で払うが如くであった。

秦桐若は旗指物に唐団扇を使用しており、播磨国の人間は敵陣に唐団扇を見かけると、避けて通り、誰も近づかなかった。

このため、秦桐若は敵を攻める時は、唐団扇の旗指物を隠しておき、敵に出会うと、唐団扇の旗指物を挙げた。

しかし、敵は唐団扇の旗指物を見ただけで逃げてしまい、秦桐若は戦いにならなかった。

■首供養
関西から中国地方にかけて、首を33個を取った者は首供養を行うという習慣あり、秦桐若は首を33個取ったので、八宗の僧を呼び、首供養を行った。

黒田家で首供養を行ったのは、秦桐若が初めてだったので、武将は皆、秦桐若の首供養を羨ましがった。

(注釈:秦桐若は31個の首を取り、首供養を目前としていたが、死んでしまったため、首供養をしていない、とも伝わる。)

■秦桐若が負傷
天正10年(1582年)、秦桐若は「山崎の合戦」で大きな傷を作ったが、治療のかいも有り傷が癒えた。

天正11年正月、秦桐若は有馬温泉へ行き、湯治(温泉治療)したところ、傷は癒え、傷口も綺麗に治った。

このため、秦桐若は「この湯の妙によって、入浴しただけで傷が癒えた。ならば、この温泉を飲めば、もっと早く傷が治るのではないか」と考え、温泉を3杯飲んだ。

すると、秦桐若は腹痛を起して下痢が止まらなくなり、傷口が再び開き、満身創痍となって死んでしまった。行年42歳だった。

これを聞いた黒田官兵衛は、「我が利剣、その峰を折ったるがことく」と言って悲しんだ。

後に、黒田官兵衛は有岡城での1年間に渡る幽閉から解放された後、有馬温泉で湯治(温泉治療)を行ったが、黒田官兵衛は有馬温泉の湯を飲むことはなかったという。

■秦桐若の死後
秦桐若には4人の子供が居た。嫡女は竹森若松と結婚し、次男は早死にしており、三男・孫右衛門と四男・喜右衛門が残っていた。

そこで、黒田官兵衛は三男・孫右衛門と四男・喜右衛門を召し抱え、亡き父・秦桐若の跡を継がせようとした。

しかし、秦桐若の妻は「夫は武勇を好んで早死にしたため、私は未亡人となって頼る者が居ない。子供を武士にすれば、また早死にするでしょう。そうすれば、私は誰を頼って晩年を過ごせばよいのか」と言い、黒田官兵衛の命令には従わず、三男・孫右衛門に漆職人をさせ、四男・喜右衛門に筆職人をさせた。

後に黒田長政が九州にある筑前国(福岡県)を拝領したのを切っ掛けに、秦桐若の子供は筑前国の福岡へと移り住み、商いを続けた。

その他の黒田家・家臣のエピソードについては、「実話-軍師・黒田官兵衛(黒田如水)-あらすじとネタバレ」をご覧ください。

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