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黒田官兵衛の淡路平定と安宅河内守の誅殺

2014年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の主人公となる黒田官兵衛の生涯を実話で描く実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレの播磨編「黒田官兵衛の淡路平定と安宅河内守の誅殺」です。


このページは「鳥取の飢殺し(鳥取の渇殺し)のあらすじとネタバレ」からの続きです。

実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレの目次は「実話-軍師・黒田官兵衛(黒田如水)-あらすじとネタバレ」をご覧ください。

■黒田官兵衛の淡路平定
天正8年(1580年)、羽柴秀吉が但馬(兵庫県北部)・因幡(鳥取県東部)の征伐を進めるころ、四国では土佐(高知県)の長宗我部元親が、阿波(徳島県)の三好家へ侵攻していた。

元々、土佐(高知県)の長宗我部元親は、織田信長の家臣・明智光秀と親戚で、織田信長と同盟を結び、良好な関係にあった。

そこで、長宗我部元親は明智光秀を通じて、織田信長に鷲や砂糖を贈り、織田信長から「四国を自由に切り取って良い」と許可を得ていた。

一方、阿波(徳島県)の三好家は、14代将軍・足利義栄を擁立し、中央政権でも権力を誇った名家だったが、15代将軍・足利義昭を擁立して上洛を果たした織田信長との戦に敗れ、衰退していた。

三好家は織田信長と対立していたが、没落後は黒田官兵衛を通じて織田信長の傘下に入り、三好家は羽柴秀吉の養子・羽柴秀次を養子に貰い受けていた。

このため、土佐の長宗我部元親と阿波の三好家の両家は、ともに織田信長側の勢力となっていた。

このようななか、土佐(高知県)の長宗我部元親が阿波への侵攻を開始した。そして、長宗我部元親は阿波(徳島県)と讃岐(香川県)をほぼ平定し、四国統一に迫った。

これに困った三好家は、長宗我部元親による四国統一を阻止するため、織田信長に救済を求めた。

これを受けた織田信長は長宗我部元親に、讃岐と阿波の一部を統治を認め、讃岐と阿波の北部を返還するように命じた。

しかし、長宗我部元親は「自分で切り取った領土で、織田信長から拝領したものではない」として、織田信長の要求を無視し、阿波への侵攻を続けた。

これに怒った織田信長は、羽柴秀吉に三好家の救済を命じた。これにより、長宗我部元親との交渉を努めていた明智光秀は、厳しい立場に立たされた。

さて、三好家の救済を命じられた羽柴秀吉は、鳥取城を兵糧攻め(鳥取の飢殺し)にしている最中だった。

羽柴秀吉は、毛利側の援軍・吉川元春とも対峙して動けないため、軍師・黒田官兵衛を名代として四国へと派遣した。

このころ、姫路では黒田職隆が容態が悪化し、命も危ない状態だったが、黒田官兵衛は命令を拒否することは出来ず、嫡子・黒田長政に「私に変って黒田職隆によく仕えるべし」と命じ、三好家の救済へと向かった。

なお、黒田長政は黒田官兵衛の言いつけを守り、献身的に介抱を行ったので、黒田職隆の病気は治った。

■安宅河内守を誅殺
天正9年(1581年)9月、黒田官兵衛は仙谷秀久を淡路島へと派遣したほか、生駒親正などを阿波(徳島県)へと派遣し、黒田官兵衛自身も阿波へと渡った。

天正9年(1581年)11月15日、三好家から援軍の要請があったため、淡路に居た仙谷秀久を阿波の勝端城の援軍に差し向け、黒田官兵衛は淡路島へと上陸した。

淡路島には由良城(ゆらじょう)という要害があり、由良城には安宅河内守という強敵が居た。このため、黒田官兵衛は誅殺によって由良城の城主・安宅河内守を斬り、淡路島の平定を成し遂げた。

黒田官兵衛が生涯で誅殺した人数は2人だけで、その1人目が姫路時代に仕えた小寺家の家老・山脇六郎左衛門である。そして2人目が、由良城の城主・安宅河内守である。

なお、黒田官兵衛が城主・安宅河内守を斬った刀は、名刀「安宅切」と呼ばれ、現在(2013年)は福岡市博物館に保存されている。

天正9年(1581年)11月、淡路島・阿波・讃岐を平定し、三好家を救済した黒田官兵衛は、淡路島の洲本城(兵庫県洲本市)を仙石秀久に任せて姫路へと引き上げた。このとき、黒田官兵衛は36歳であった。

■武田家の滅亡
武田信玄の亡き後を継いだ甲斐(山梨県)の武田勝頼は、天正3年(1575年)の「長篠の合戦」で織田信長・徳川家康の連合軍に敗れて衰退していた。

天正10年(1582年)2月、織田信長は甲斐の武田勝頼を攻め、天正10年3月の「天目山の戦い」で武田勝頼を討ち、武田家は滅んだ。

北陸の上杉家は上杉謙信の亡き後、家督争いで疲弊しており、もはや織田信長の敵では無かった。

武田勝頼を滅ぼした後、残る強敵は九州の島津義久、四国の長宗我部元親、中国の毛利輝元となっており、織田信長の野望は天下統一に一歩一歩と近づいていたのである。

実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)の生涯」のあらすじとネタバレ播磨編「備中高松城の水攻めのあらすじとネタバレ」へ続く。

コメント

スポンサーサイト黒田官兵衛の淡路平定と安宅河内守の誅殺へのコメント

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長篠

名無し : 2014年03月01日(土)

ご指摘ありがとうございます。合戦名が間違っていたので「長篠の合戦」に訂正いたしました。

管理人 : 2014年03月01日(土)

長宗我部元親が阿波への侵攻を開始た。

黒田官兵衛は黒田官兵衛は

名無し : 2014年03月10日(月)

誤字のご指摘ありがとうございます。誤字を訂正しました。

管理人 : 2014年03月10日(月)

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