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黒田長政と如法寺久信(如法寺孫二郎)の戦い

V6の岡田准一が主演するNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の主人公となる黒田官兵衛の生涯を実話で描く実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ豊前編「黒田長政と如法寺久信(如法寺孫二郎)の戦いのあらすじとネタバレ」です。


このページは「実話-軍師・黒田官兵衛と城井鎮房のあらすじとネタバレ」からの続きです。

実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ目次は「実話-軍師・黒田官兵衛(黒田如水)-あらすじとネタバレ」をご覧ください。

■黒田長政と豊前国人一揆
黒田官兵衛が拝領した豊前(福岡県東部)は、400年間に渡り、城井氏(豊前宇都宮氏)が支配している国だった。

豊前に居るほとんどの豪族は城井氏から枝分かれした同族で、豊前のほとんどの豪族は新領主として豊前に入った黒田官兵衛に従属しなかった。

ただ、豊前の豪族でも、時枝平太夫(時枝鎮継)・宮成吉右衛門・広津鎮種・中間六郎左衛門(中間統種)の豪族4人は黒田官兵衛に下った。

そのようななか、肥後(熊本県)で一揆が起き、黒田官兵衛が肥後で起きた一揆を鎮圧するために、豊前を留守にすると、上毛郡(こうげぐん)の豪族・如法寺久信(読み方:はねほうじひさのぶ、通称:如法寺孫二郎)が上毛郡の豪族と共に挙兵した。

そして、如法寺久信(如法寺孫二郎)らは、黒田官兵衛に属した豪族広津鎮種の広津城を攻撃し、反黒田の狼煙を上げたのである(上毛郡一揆の発生)。

■黒田長政と如法寺久信(如法寺孫二郎)の戦い
天正15年(1587年)10月1日、馬ヶ岳城で豊前の留守を勤めていた黒田長政は、肥後(熊本県)国人一揆の鎮圧に向かった黒田官兵衛に通報の使者を送ると、兵を率いて部全国上毛郡で発生した一揆の鎮圧に向かった。

黒田長政は天正15年(1587年)10月1日に亥の刻(午後10時頃)に馬ヶ岳城を出て、夜中に6里(約23.5km)ばかりを進軍した。そして、夜明けに豊前国上毛郡に到着し、上毛郡安雲村朝日岳という所に馬をとどめ置いた。

一方、一揆を起こした上毛郡の豪族は上毛郡姫隈に出城・姫隈城を構えて籠城していた。

また、求菩提山の麓に城を構える如法寺久信(如法寺孫二郎)は、上毛郡高田に高田城を築いて一揆勢を集めて立て籠もっていた。

黒田長政は先に姫隈城を攻め落とすため、姫隈城に迫ったが、一揆勢は姫隈城の城門を開いて大勢で攻め降りてきたので、黒田長政の先手は防ぎきれずに退いた。

井上九郎左衛門・黒田三左衛門・衣笠久左衛門の3人は、先手の敗走を見ると、姫隈城の城門の脇にある石垣際で鎌を構えて敵を待ち構えて切りつけたので、姫隈城の兵は井上九郎左衛門らを恐れて城門から出なかった。

衣笠久左衛門はまだ17歳だったが、老臣の井上九郎左衛門らと一緒に頑張ったので、後に報告を受けた黒田官兵衛は衣笠久左衛門に感心した。

(注釈:井上九郎左衛門は、黒田家を代表する家臣・井上九郎右衛門の誤記だと思われる。井上九郎右衛門については「井上九郎右衛門(井上之房)と井上崩れ(井上くずれ)」をご覧ください。)

さて、井上九郎左衛門ら3人の活躍により、黒田長政は敗走した先手の兵を立て直し、兵を整えると、再び姫隈城へと攻め寄せ、姫隈城を包囲した。

黒田長政が姫隈城を包囲していると、高田城に籠もっていた如法寺久信(如法寺孫二郎)と緒方某との両将が黒田長政の背後を突くため、2~3000の軍勢を率いて攻めてきた。

黒田長政はこれを好機とみて「待ち受けて戦うよりも、あえて向かって行き、即座に敵軍を打ち崩す」と言い、兵を2手に分けると、姫隈城の兵に挟み撃ちにされないよう、半分の兵を姫隈城の押さえに残し、1000の手勢を率いて如法寺久信(如法寺孫二郎)の軍勢に向かって行った。

このとき、黒田長政と如法寺久信(如法寺孫二郎)は、混戦となり、黒田官兵衛の娘婿・尾上安左衛門や神吉新作などが討ち死する。

混戦のなか、黒田長政が「一揆に打ち負ければ、黒田官兵衛が粉骨をもって拝領した国を治めずして家の面目を失うのみならず、某も士卒も身の浮沈、ただこの時にあり。者ども、命の限り戦い、敵の大将の首を取って我に見せよ」と下知すと、黒田長政軍勢は今日が最後だと思って奮闘した。

黒田長政の軍勢は撃たれても、切られても微塵ともせずに戦うため、如法寺久信(如法寺孫二郎)の軍勢の方が多勢だったが、黒田軍の気迫に押されて、終いには敗走した。

そのとき、敵軍の中に茜の羽織を着た大将らしき武将が居り、大将らしき武将は逃げていく兵に「引き返して戦え」と命じていた。しかし、兵士は命令を無視して我先にと逃げだす。

黒田長政が「いかにしても大将を討ち取るべし」と命じると、黒田軍の中から、櫛橋三十郎(櫛橋左京進の弟)ら若武者7騎が出てきて、茜の羽織を着た大将らしき武将を目がけて進んだ。

櫛橋三十郎は7人の中で1番に茜の羽織を着た武将の元に駆けつけ、言葉を交わして、この武将が如法寺久信(如法寺孫二郎)と分かると、しばらく戦った末、如法寺久信(如法寺孫二郎)を討ち取った。

また、黒田長政は、遙か彼方にあぜ道を逃げていく1騎の武者を見つけ、「あれは味方では無い。敵将・緒方某に違いない。馬の強い者は、あの武者を討ち取ってこい」と命じた。

すると、黒田長政の近くに居た数人が武者を追いかけ、武者に声をかけると、武者は刀を抜いて引き返してきたため、弓を浴びせて討ち取った。こうして、黒田長政は敵将・如法寺久信(如法寺孫二郎)と敵将・緒方某との2人を討ち取った。

その後、黒田長政が姫隈城を攻めると、黒田長政の武勇を知った姫隈城の一揆勢は、黒田長政に人質を差し出して降伏する。すると、高田城の一揆勢も黒田長政に降伏した。

その後、黒田長政は広津へ行き、敵を散々と討ち取り、上毛郡の一揆を鎮圧すると、黒田官兵衛と今後の作戦を練るため馬ヶ岳城へと引き返した。

一方、肥後(熊本県)国人一揆の鎮圧に向かった黒田官兵衛は、筑後の久留米(福岡県久留米市)で肥後国人一揆を鎮圧するための軍議を開いていたが、黒田長政から豊前国人一揆の報告を受けると、小早川隆景に肥後国人一揆を任せて、馬ヶ岳城へと戻った。

他方、毛利吉成(毛利勝信)の元に身を寄せていた城井鎮房は、黒田長政が上毛郡の一揆を鎮圧している隙を突き、城井谷の奪還作戦を始めるのであった。

実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ豊前編「黒田長政と城井鎮房-城井谷の戦いのあらすじとネタバレ」へ続く。

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