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黒田長政と加藤清正の朝鮮出兵

NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の主人公となる黒田官兵衛の生涯を実話で描く実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ朝鮮出兵編「黒田長政と加藤清正の朝鮮出兵のあらすじとネタバレ」です。


このページは「小西行長と忠州の戦いのあらすじとネタバレ」からの続きです。

実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ目次は「実話-軍師・黒田官兵衛(黒田如水)-あらすじとネタバレ」をご覧ください。

■黒田長政と加藤清正の朝鮮出兵
日本軍の先陣は文禄元年(1592年)4月12日に名護屋城を出帆した。日本軍の先陣は、翌朝に壱岐国の風本(長崎県壱岐市)に入ったが、波風が強いため、風本で風が収まるのを待つことにした。

しかし、1番隊・小西行長は功名を独り占めするため、抜け駆けして密かに風本を出帆して朝鮮半島へと渡る。

2番隊の加藤清正と3番隊の黒田長政は、1番隊の小西行長の船が無いことに気づいて後を追ったが、激しい波風に阻まれ、小西行長に遅れること4日、ようやく朝鮮半島に上陸することになる。

2番隊の加藤清正・鍋島直茂も3番隊の黒田長政・大友義統も、先に上陸した1番隊の小西行長の後塵を拝する事を良しとせず、別ルートからの上陸を選んだ。

2番隊の加藤清正・鍋島直茂は、文禄元年(1592年)4月17日に熊川に上陸し、1番隊の小西行長とは別ルートで北上し、李氏朝鮮の首都・漢城(ハンソン=現在のソウル)を目指した。

3番隊の黒田長政は、「小西行長の後を進んで、何の働きになるのだ。我らは釜山から上陸せず、西南にある金海より攻め入る」と言い、金海城の近くの港から上陸し、金海城を落とし、別ルートで首都・漢城(ハンソン)を目指した。

以降、日本軍は4番隊から7番隊までが朝鮮半島に上陸することになる。

■加藤清正が小西行長に激怒
文禄元年(1592年)4月29日、1番隊・小西行長とは別ルートで朝鮮半島を北上していた2番隊・加藤清正が青国(忠清道)にある忠州城に入る。

1番隊・小西行長が文禄元年(1592年)4月28日に李氏朝鮮の大将シン・リプの軍勢を撃破しており、忠州城は1番隊・小西行長に占領されていた。

豊臣秀吉は朝鮮出兵(唐入り)において、交代交代で先手を勤めるように指示していたが、1番隊の小西行長はこの約定を破り、抜け駆けして朝鮮半島に上陸し、釜山で2番隊・加藤清正や3番隊・黒田長政の到着を待たず、勝手に進軍して手柄を上げていた。

忠州城に入った加藤清正は、事前の申し合わせを破って兵を進め、勝手に手柄を立てる小西行長に激怒し、「李氏朝鮮の首都・漢城(ハンソン=現在のソウル)には手を出すな」と言い出した。

しかし、小西行長も「先陣は譲らない」と拒否したため、両者が今にも斬り合いを始めようとしたとき、2番隊の鍋島直茂が仲裁に入った。

忠州城から首都・漢城へ攻め入るのに、東西に2つの道あり。西の道は近いが難道で、東の道は遠いが易道だった。

そこで、鍋島直茂は、「それぞれに別の道から漢城(ハンソン)へと攻め入り、先手を争えばよかろう」と提案した。

鍋島直茂の提案を受け入れた2番隊・加藤清正は「我は近い道から攻め入る」と主張すると、軍議はたちどころに決し、2番隊・加藤清正が西の難道を進み、1番隊・小西行長は東の易道を進むことになったのである。

実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ朝鮮出兵編「小西行長と加藤清正が李氏朝鮮の首都・漢城を占領したあらすじとネタバレ」へ続く。

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