スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


日本軍が明軍と休戦して黒田長政が漢城から撤退

NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の主人公となる黒田官兵衛の生涯を実話で描く実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ朝鮮出兵編「日本軍が明軍と休戦して黒田長政が漢城から撤退のあらすじとネタバレ」です。


このページは「豊臣秀吉が黒田官兵衛に朝鮮出兵を命じた理由」からの続きです。

実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ目次は「実話-軍師・黒田官兵衛(黒田如水)-あらすじとネタバレ」をご覧ください。

■日本と明の講和交渉
碧蹄館の戦いで日本軍に大敗した明軍の李如松は、戦意を失い、開城から平壌城へと引き下がり、防備を固めていた。

一方、漢城(ハンソン=現在のソウル)に籠もる日本軍は兵糧を龍山の米倉に保管していたが、文禄2年(1593年)3月13日に龍山の米倉を焼かれて以降、急激な兵糧不足に陥り、餓死者が大勢出て、疫病が流行り、漢城を維持することも難しく、漢城からの撤退が話し合われていた。

そのようななか、明(中国)の朝鮮担当者・石司馬は、「李如松が漢城を攻めないのは、日本軍が手強いからである」として、沈惟敬(しん・いけい)を和睦の使者として派遣して漢城へ派遣し、小西行長と講和交渉を再開させた。

小西行長は昨年、沈惟敬に偽りの講和を持ちかけられ、平壌城を明軍(中国軍)に奪われており、沈惟敬は信用が出来なかったが、食糧不足に陥った漢城の日本軍の現状は悲惨なもので、安全に撤退するには沈惟敬の講和に応じるしかないというのが実情であった。

李氏朝鮮は明軍に講和の中止を求めたが、明軍の李如松は李氏朝鮮の意見を完全に封殺した。この和議では、李氏朝鮮の意見は一切、反映されていない。

ここから、小西行長と沈惟敬による、嘘と偽りに満ちた欺瞞外交が始まるのである。

さて、話し合いの結果、和睦の条件は概ね次の4条となった。

1・明が日本に使者を派遣する。
2・日本は朝鮮の王子2人と従者を返還する。
3・明が韓国から撤退する。
4・日本は漢城から徹底する。

(注釈:李氏朝鮮は各地に王子を派遣して義兵を募っていたが、日本軍を解放軍として受け止めて反政府勢力となった朝鮮人が李氏朝鮮王子を捕らえて、加藤清正に預けていた。)

小西行長が豊臣秀吉に報告すると、和睦の条件は「明が日本に勅使を送って降伏する」形になっていたので、豊臣秀吉は大いに喜び、和睦を認めた。

文禄2年(1593年)4月17日、謝用梓(しゃ・ようし)と徐一貫(じょ・いっかん)の2人が明の勅使として漢城へ入り、日本軍に和睦を求めた。これによって、日本と明との休戦状態に入り、日本軍は漢城を撤退する。

しかし、明の勅使として漢城に来た謝用梓と徐一貫の2人は、皇帝の勅使ではなく、明軍の大将・宋応昌(そう-おうしょう)の部下だったのである。

にもかかわらず、その後、明軍の李如松は、謝用梓と徐一貫の2人を明国の正式な勅使として、日本に居る豊臣秀吉の元へと派遣し、和平交渉を行った。

文禄2年(1593年)5月、謝用梓と徐一貫の2人と対面した豊臣秀吉は、7条の条件を提示した。

1・明の皇女を天皇の妃とすること。
1・勘合貿易を復活させること。
1・日本と明の両国は、双方の大臣が誓紙をとりかわすこと
1・朝鮮八道のうち四道を李氏朝鮮に返還すること。
1・朝鮮王子および家老の1両名を日本に人質として差し出すこと
1・捕虜にした朝鮮王子2人は沈惟敬に返還すること。
1・朝鮮の重臣は後世、日本に背かないことを誓約すること。

(注釈:豊臣秀吉は「明が日本に降伏した」と聞いているので、完全に戦勝国として講和に望んでいる。)

その後、謝用梓と徐一貫の2人は本国(中国)に報告するとして朝鮮半島に戻り、小西行長は内藤如安(小西如安)を明(中国)に派遣した。こうして、第1次朝鮮出兵(文禄の役)は休戦に向かうのであった。

■黒田長政が殿を務める
文禄2年(1593年)4月、明が豊臣秀吉に勅使を送った事を受け、日本軍が漢城から撤退を始める。

明軍に追撃されれば大損害を受ける大事な退口だったので、黒田長政は殿(しんがり=軍の最後尾)を願い出て、許可された。

釜山へ向かう途中に大河があったので、黒田長政は船橋を渡し、日本軍が渡り終えると、船橋の綱を切り落とし、明軍が追撃してこられないようにして、見事に殿を務めた。
その後、明軍(中国軍)が漢城へ無血入城を果たした。漢城の人の多くが餓死し、城内には異臭が充満して疫病が流行り、城の内外に白骨が積み上がっていた。その様子は壮絶なもので、生きている者は100人に1だったと伝わる。

日本軍が明軍と休戦し、漢城から撤退したのは文禄2年(1593年)4月、黒田官兵衛が48歳、黒田長政が26歳の事であった。

実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ朝鮮出兵編「もくそ城(晋州城)の戦い-黒田長政と加藤清正のあらすじとネタバレ」へ続く。

コメント

スポンサーサイト日本軍が明軍と休戦して黒田長政が漢城から撤退へのコメント

規定数に達したのでコメントの受付は停止しました。こちらは、コメント欄です。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。