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石田三成の挙兵-大谷吉継と衆道

NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の主人公となる黒田官兵衛の生涯を実話で描く実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ関ヶ原の戦い編「石田三成の挙兵-大谷吉継と衆道のあらすじとネタバレ」です。


このページは「黒田長政が栄姫と結婚-直江兼続の直江状のあらすじとネタバレ」からの続きです。

実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ目次は「実話-軍師・黒田官兵衛(黒田如水)-あらすじとネタバレ」をご覧ください。

■大谷吉継と石田三成の友情
大谷吉継と石田三成の2人は共に、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が織田信長の家臣だった頃から、羽柴秀吉に使えていた古くからの親友であった。

大谷吉継は羽柴秀吉が「大谷吉継に100万の軍勢を指揮させてみたい」と言った程の武将で、政務の石田三成に対して、大谷吉継は武勇で名を馳せ、2人は共に羽柴秀吉の元で出世してきた。

大谷吉継は病気によって顔がただれ、ずきんを被るようになると、諸将は大谷吉継を避けるようになったが、石田三成だけは変わらずに大谷吉継と接した。

また、茶会で1つの茶碗で回しのみしていたとき、大谷吉継は茶碗に顔の膿を垂らすという粗相を犯した。諸将は病気の感染を恐れて誰も飲みたがらなかったが、石田三成が大谷吉継から茶碗を受け取り、全て飲み干した。大谷吉継はこれに恩義に感じたと伝わる。

さて、大谷吉継は、朝鮮出兵の時に石田三成とともに朝鮮軍事奉行を務めており、豊臣政権の「文治派」であったが、徳川家康とも親しい関係にあり、徳川家康の会津征伐(上杉征伐)にも参加する予定であった。

一方、石田三成は黒田長政ら武断派の7武将に襲われたさい、徳川家康に助けてもらったが、徳川家康の仲裁により、家督を息子に譲って隠居し、居城の佐和山城に引きこもっていた(石田三成襲撃事件)。

しかし、石田三成は大人しく佐和山城に引き籠もっていたわけではなく、各地の大名に密書を送り、挙兵の好機を虎視眈々と狙っていた。

さて、敦賀城(福井県敦賀市)の城主・大谷吉継は、3000人の兵を率いて、徳川家康の会津征伐(上杉征伐)に参加するため、敦賀城を発ち、関東を目指した。

大谷吉継はその道中で、親友・石田三成にも会津征伐(上杉征伐)への参加を促すため、石田三成が居る佐和山城へ立ち寄った。

そこで、大谷吉継は石田三成から、徳川家康を討つ決意を聞かされた。大谷吉継は「徳川家康には勝てない」と3度も説得したが、石田三成の決意は変らなかった。

大谷吉継は徳川家康に勝てないと悟っていたが、石田三成との友情に報いるため、石田三成の挙兵に参加することにした。

(注釈:男性同士が肉体関係を持つことを現在は「ゲイ」「ホモ」と言うが、戦国時では「若衆道」「衆道」と言い、戦国時代は武将が男子と肉体関係を持つことは一般的であった。大谷吉継と石田三成は固い友情に結ばれていたことから、2人は衆道の関係にあったという説もある。しかし、衆道説の真偽は不明である。)

■石田三成の挙兵
慶長5年(1600年)6月、徳川家康が総勢5万8000の兵を率いて大阪城を出て上杉討伐(会津討伐)へと向かうと、関西に居る徳川家康の勢力は、伏見城を守る徳川家康の家臣・鳥居元忠だけとった。

大阪城を出た徳川家康は慶長5年(1600年)6月18日に伏見城へ入り、鳥居元忠と別れの杯を交わした。鳥居元忠は石田三成の軍勢に取り囲まれることを悟っており、既に死を覚悟していたという。

その後、徳川家康は伏見城を後にして、慶長5年(1600年)7月7日に江戸へ入った。

さて、徳川家康が関東へ下向すると、石田三成は佐和山城を出て大阪城へ入り、奉行衆と相談した。

このとき、親友の大谷吉継が「石田三成は横暴なので、みんなに嫌われている。石田三成が盟主になれば、豊臣派の武将まで、徳川家康の見方になってしまう」と言い、毛利輝元を総大将とする事を提案したと伝わる。

その後、石田三成ら五奉行は、毛利の外交僧として活躍した安国寺恵瓊を口説き落とし、五大老で準筆頭を務めた毛利輝元を味方に引き入れ、毛利輝元を盟主とする反徳川家康勢力(西軍)を結成した。

そして、石田三成は全国の大名に檄を飛ばすと、慶長5年(1600年)7月から8月にかけて、西国を中心に全国から大阪城に15万7000の兵が集まった。

さらに、慶長5年(1600年)7月17日、長束正家・増田長盛・前田玄以の奉行3人が「内府ちかひの条々(内府違いの条々)」を発表し、徳川家康の罪を糾弾した。

「内府ちかひの条々」とは、徳川家康が豊臣秀吉の遺命に背いた罪名を書き連ねた文章である(徳川家康が犯した罪を13個書いてある)。

こうして、石田三成らは、大阪城を占領して徳川家康の罪を糾弾して西軍を結成し、反徳川家康の狼煙を上げたのであった。

実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ関ヶ原の戦い編「母里太兵衛と栗山四郎右衛門(栗山善助)が天満屋敷が脱出するあらすじとネタバレ」へ続く。

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