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細川ガラシャが細川忠興と結婚

NHK大河ドラマでもお馴染みの明智光秀の娘・細川ガラシャ(明智珠)の生涯を実話で紹介する「実話・細川ガラシャ婦人の生涯のあらすじとネタバレ」の「細川ガラシャが細川忠興と結婚したあらすじとネタバレ」です。


このページは「細川ガラシャと明智光秀のあらすじとネタバレ」からの続きです。

実話・細川ガラシャの生涯の目次は「実話・細川ガラシャの生涯のあらすじとネタバレ」をご覧下さい。

■細川ガラシャが細川忠興と結婚
明智光秀と細川藤孝の2人は、織田信長の家臣となって以降、近畿の方々の戦いで活躍していた。

天正2年(1574年)、婚姻関係によって主従関係を強化していた織田信長は、家臣の明智光秀と細川藤孝の2人に、縁者になる事を要請した。

細川藤孝は織田信長の要請を辞退したが、織田信長から再三の要請があったため、終いには細川藤孝は織田信長の要請を承諾した。

そして、天正6年(1578年)6月8月、織田信長は、明智光秀の娘・明智珠(細川ガラシャ)と細川藤孝の嫡男・細川忠興との結婚を命じた。

両家は良好な関係にあり、婚姻の準備は直ぐに進められ、明智珠(細川ガラシャ)と細川忠興の2人は、天正6年(1578年)8月に結婚した。祝言は8畳間と6畳間の2間で行われ、質素なものだった。

明智珠(細川ガラシャ)が細川忠興と結婚したのは天正6年(1578年)8月、明智珠(細川ガラシャ)が16歳の事であった。

なお、細川忠興は明智珠(細川ガラシャ)と同じ年(永禄6年=1563年)に生まれており、細川忠興も16歳であった。

結婚後、明智珠(細川ガラシャ)は勝竜寺城(京都府長岡京市勝竜寺)で新婚生活を送り、結婚した翌年の天正7年(1579年)に長女・細川長を出産し、その翌年の天正8年(1580年)に長男・細川忠隆を出産した。

■細川ガラシャと細川忠興の逸話
夫の細川忠興は勇敢で剛胆な性格であり、戦地で数々の武功を上げた。しかし、その剛胆さゆえに、平時は残忍で冷酷であった。

一方、明智珠(細川ガラシャ)は聡明で気性に優れ、自己を持つ婦人であった。

正室・明智珠(細川ガラシャ)は絶世の美女とされ、夫・細川忠興は、正室・明智珠(細川ガラシャ)を異常なまでに愛しており、嫉妬深く、夫・細川忠興は正室・明智珠(細川ガラシャ)の外出を禁じていた。

明智珠(細川ガラシャ)と細川忠興の性格を表す逸話であるので、2人の生活を代表する逸話を2つ紹介しておく。ただし、細川ガラシャの逸話は実話ではなく、後世の創作であると思われる。

■細川ガラシャと細川忠興の逸話1
ある日、下僕(使用人)が明智珠(細川ガラシャ)に近づこうとしたので、細川忠興は下僕を切り捨て、刀に付いた血を明智珠(細川ガラシャ)の袖でぬぐい、刀を鞘に収めた。

明智珠(細川ガラシャ)は驚くこともなく、血の付いた服を3日も4日も着ていたので、細川忠興が謝罪すると、明智珠(細川ガラシャ)はようやく服を着替えた。

このとき、細川忠興が「お前は蛇だ」と呆れると、明智珠(細川ガラシャ)は「鬼の妻には、蛇がちょうど良いでしょう」と答えた(細川ガラシャと細川忠興の逸話)。

■細川ガラシャと細川忠興の逸話2
ある日、細川忠興と明智珠(細川ガラシャ)が食事をしていた時のことである。明智珠(細川ガラシャ)は、椀の中に髪の毛が入っていたので、細川忠興に知られると、料理人が処刑されると思い、椀に蓋をした。

それに気づいた細川忠興が明智珠(細川ガラシャ)の椀の蓋を取ると、椀の中に髪の毛が入っているのを見つけた。

細川忠興は、明智珠(細川ガラシャ)が料理人を庇った事に嫉妬し、台所へ行き、料理人を斬り殺して、その首を明智珠(細川ガラシャ)の膝の上に置いた。

すると、明智珠(細川ガラシャ)は驚くことも無く、料理人の首を膝に置いたまま、一日中、座り続けた。

これに困った細川忠興は、大いに反省したが、どうすることも出来ず、父・細川幽斎(細川藤孝)に頼んで、料理人の首を取り除いてもらった(細川ガラシャと細川忠興の逸話)。

実話・細川ガラシャ(明智珠)の生涯のあらすじとネタバレの「本能寺の変と細川ガラシャの幽閉のあらすじとネタバレ」へ続く。

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