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細川ガラシャがキリスト教の教会へ行く

NHK大河ドラマでもお馴染みの明智光秀の娘・細川ガラシャ(明智珠)の生涯を実話で紹介する「実話・細川ガラシャの生涯のあらすじとネタバレ」の「細川ガラシャがキリスト教の教会へ行くあらすじとネタバレ」です。


このページは「細川忠興が細川ガラシャの幽閉を解くあらすじとネタバレ」からの続きです。

実話・細川ガラシャの生涯の目次は「実話・細川ガラシャの生涯のあらすじとネタバレ」をご覧下さい。

■苦悩する細川ガラシャ
天正10年(1582年)6月、父・明智光秀が本能寺で主君・織田信長を討ったため、娘・明智珠(細川ガラシャ)は一夜にして謀反人の娘となった。

明智光秀は親戚に当る細川家に上洛を求めたが、細川藤孝は明智光秀を拒絶し、剃髪して「細川幽斎」を名乗り、家督を細川忠興に譲り、隠居した。

さらに、細川忠興は、「御身の父親は主君(織田信長)の敵なれば、同室叶うべからず」と言い、正室・明智珠(細川ガラシャ)に離縁を言い渡し、明智珠(細川ガラシャ)を丹後国の味土野(京都府京丹後市弥栄町)という山奥で幽閉したのである。

明智珠(細川ガラシャ)は味土野で2年間にわたり、幽閉されたが、天正12年(1584年)に羽柴秀吉の取りなしによって幽閉を解かれ、夫・細川忠興の居城・宮津に戻り、細川忠興と再婚した。

明智珠(細川ガラシャ)は2年間の幽閉生活を強いられたうえ、幽閉中に夫・細川忠興の側室が出産したため、明智珠(細川ガラシャ)は苦悩していた。

明智珠(細川ガラシャ)は幽閉が解かれ、大阪・玉造の細川屋敷で住むようになって以降も、細川忠興の過剰な嫉妬により、外出が禁じられ、屋敷に閉じ込められており、幽閉同様の生活を送っていた。

さて、義父・細川藤孝や夫・細川忠興が禅宗を信仰しており、明智珠(細川ガラシャ)も禅宗を信仰していた。苦悩する明智珠(細川ガラシャ)は禅宗に救いを求めたが、禅宗を信仰しても救われないことを密かに悟るようになっていた。

■細川ガラシャと高山右近
そのようななか、苦悩する明智珠(細川ガラシャ)は、夫・細川忠興から、キリシタン大名・高山右近の話を聞いた。

高山右近は戦国時代を代表するキリシタン大名で、後にキリシタン大名となる黒田官兵衛や蒲生氏郷などに影響を与えた人物である。

細川忠興は茶道家としても有名で、高山右近とは茶飲み友達だったため、細川忠興は高山右近から聞いたキリスト教の事を明智珠(細川ガラシャ)に話すようになっていた。

禅宗では救われないと考えていた明智珠(細川ガラシャ)は、細川忠興からキリスト教の話を聞いて、密かにキリスト教の本質について考えるようになった。

■細川ガラシャが教会へ行く
そのようななか、豊臣秀吉(羽柴秀吉から改名)は天正14年(1586年)7月に九州征伐を開始する。夫・細川忠興も豊臣軍の一員として九州へと下った。

夫・細川忠興が不在になっても、正室・明智珠(細川ガラシャ)には厳しい監視が付いており、正室・明智珠(細川ガラシャ)は幽閉同様の生活を続けていた。

さて、豊臣秀吉は織田信長と同様にキリスト教を容認しており、大阪にも教会が出来ていた。(注釈:教会は大阪の天満にあったとされるが、取り壊されたため、住所は不明です。)

そこで、明智珠(細川ガラシャ)は信頼する侍女に「監視に気づかれることなく、教会へ行く方法は無いか」と相談したのである。

明智珠(細川ガラシャ)が侍女に相談したのは、ちょうど彼岸の時期だった。この時代は、彼岸の時期に寺院へ行く風習があったので、明智珠(細川ガラシャ)は彼岸の風習を利用して玉造の細川屋敷を抜けだし、教会へ行くことにした。

天正15年(1587年)2月11日、数人の侍女が彼岸の風習を理由に、寺院へ行くと言って細川屋敷を出た。明智珠(細川ガラシャ)は数人の侍女に囲まれ、監視の目をかいくぐり、玉造の細川屋敷を抜けだすと、その日の昼に教会へ入った。

明智珠(細川ガラシャ)が教会を訪れた日は、復活祭にあたり、教会で高井コスメ修道士が説法をしていた。明智珠(細川ガラシャ)は個室へ通され、個室で高井コスメ修道士の説法を聞いた。

説法を聞いた明智珠(細川ガラシャ)は、高井コスメ修道士に様々な質問をしたり、禅宗の教えを持って反論したりして、議論を交わした。明智珠(細川ガラシャ)はこの議論に非常に満足していたという。

明智珠(細川ガラシャ)は非常に聡明で、高井コスメ修道士が「これほど明晰かつ果敢な判断ができる日本の女性と話したことはない」と驚くほどであった。

ただ、明智珠(細川ガラシャ)には時間が無く、全ての疑問を解決することは出来なかったので、洗礼を受けてキリスト教の教本を持ち帰り、残りの疑問を解決したいと考えた。

夫・細川忠興に外出を禁じられている明智珠(細川ガラシャ)は、2度と教会には来れないことを覚悟しており、何度も「洗礼を授けて欲しい」と懇願したが、宣教師グレゴリオ・デ・セスペデスは「次の機会にしてはどうか」と言い、洗礼を断った。

高井コスメ修道士は高貴な方だと思い、明智珠(細川ガラシャ)に身分を尋ねたのだが、明智珠(細川ガラシャ)は一切、身分を明かさなかった。

このため、宣教師グレゴリオ・デ・セスペデスは明智珠(細川ガラシャ)を「豊臣秀吉の側室ではないか」と疑い、洗礼を与えなかったのである。

結局、夕方になっても外出した侍女たちが細川屋敷に戻らなかったため、監視役の家臣に明智珠(細川ガラシャ)の外出が発覚してしまい、家臣によって明智珠(細川ガラシャ)は細川屋敷に連れ戻され、洗礼を受けることは出来なかった。

このとき、宣教師グレゴリオ・デ・セスペデスは、下僕に明智珠(細川ガラシャ)を尾行させ、明智珠(細川ガラシャ)が細川忠興の正室であることを知る。

宣教師グレゴリオ・デ・セスペデスは、明智珠(細川ガラシャ)が豊臣秀吉の側室でなかった事を大いに喜んだ。

実話・細川ガラシャ(明智珠)の生涯のあらすじとネタバレの「清原マリアの洗礼と小笠原秀清(小笠原少斎)の黒幕は細川ガラシャのあらすじとネタバレ」へ続く。

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