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細川ガラシャの洗礼

NHK大河ドラマに登場する明智光秀の娘・細川ガラシャ(明智珠)の生涯を実話で紹介する「実話・細川ガラシャの生涯のあらすじとネタバレ」の「細川ガラシャが洗礼を受けるあらすじとネタバレ」です。


このページは「清原マリアの洗礼と小笠原秀清(小笠原少斎)の黒幕は細川ガラシャのあらすじとネタバレ」からの続きです。

実話・細川ガラシャの生涯の目次は「実話・細川ガラシャの生涯のあらすじとネタバレ」をご覧下さい。

■バテレン追放令と細川ガラシャ
豊臣秀吉は織田信長と同様にキリスト教を容認していた。しかし、九州を平定した豊臣秀吉は天正15年(1587年)6月19日、凱旋した筑前の箱崎(福岡県福岡市東区)で、突如として「バテレン追放令」を発令した。

天正15年(1587年)6月19日、豊臣秀吉は博多の豪商・神屋宗湛らと茶会を開いた後、ポルトガル船に乗って遊覧した。

その後、豊臣秀吉は突如として、諸大名に影響力のあるキリシタン大名・高山右近に棄教を命じた。

しかし、高山右近は大名の地位よりもキリスト教への信仰を選んだので、豊臣秀吉は高山右近を改易し、天正15年(1587年)6月19日のうちにバテレン追放令を発令したのである。

豊臣秀吉がバテレン追放令を発令したのは、明智珠(細川ガラシャ)が密かに教会を訪れた日(天正15年2月11日)から、わずか4ヶ月後のことであった。

豊臣秀吉がバテレン追放令を発令した理由は、諸説あるが、「九州で勢力を拡大するキリスト教に脅威を感じた」「ポルトガル人が日本人を奴隷として海外に販売していた」というのが主な理由とされる。

さて、豊臣秀吉によるバテレン追放令は宣教師による布教活動を禁止する命令であり、キリスト教の信仰を禁止するものではなかった。

キリスト教は南蛮貿易と密接に関係しており、豊臣秀吉は南蛮貿易の利益を重視したため、バテレン追放令は緩やかな命令であった。

また、キリスト教(イエズス会)の宣教師も表向きにはバテレン追放令に従い、長崎へ移ったので、キリシタンを弾圧するような事は起きなかったが、明智珠(細川ガラシャ)は豊臣秀吉によるバテレン追放令を深刻に受け止めた。

■細川ガラシャの洗礼
バテレン追放令や高山右近の改易を知った明智珠(細川ガラシャ)は、宣教師パードレ・オルガンティーノに無念と同情の手紙を何度も送った。

そして、明智珠(細川ガラシャ)は侍女と共に殉教(信仰のために死ぬこと)の準備をして、「豊臣秀吉が帰国し、キリシタンへの迫害が過熱するような事があれば、キリシタンの侍女らと共にキリシタンだと名乗り出て、十字架の死を迎える」と宣教師パードレ・オルガンティーノに殉教の決意を伝えた。

(注釈:パードレは司祭を表す名称で、司祭より下の修道士をイルマンと呼びます。)

京都に潜伏していた宣教師パードレ・オルガンティーノは、大阪へ行き、明智珠(細川ガラシャ)を諫めたが、明智珠(細川ガラシャ)の決意は固かった。

宣教師パードレ・オルガンティーノは、バテレン追放令に抵抗せず、長崎へ向かう事になっていたため、明智珠(細川ガラシャ)が洗礼を受ける最後の機会だった。

このため、宣教師パードレ・オルガンティーノは、明智珠(細川ガラシャ)に洗礼を与えることを決断したが、細川屋敷から出る事を禁じられている明智珠(細川ガラシャ)は教会へ来ることは出来なかった。

そこで、宣教師パードレ・オルガンティーノは、既に洗礼を受けている侍女頭・清原マリア(清原いと)を教会に呼んで洗礼の方法を教え、清原マリア(清原いと)に細川屋敷で洗礼(代理洗礼)を与えさせることにした。

こうして、天正15年(1587年)7月ごろ、明智珠(細川ガラシャ)は玉造の細川屋敷で清原マリア(清原いと)から代理洗礼を受け、「ガラシャ」という洗礼名を受けた。ガラシャとは、ラテン語で「恩寵」「恩恵」という意味である。

一方、洗礼を授けるのは司祭の役割だったため、明智珠(細川ガラシャ)に洗礼を授けた清原マリア(清原いと)は、司祭と同様に貞操を守る事を決意し、剃髪した。

明智珠(細川ガラシャ)が清原マリア(清原いと)から洗礼を受けたのは、天正15年(1587年)7月ごろ、明智珠(細川ガラシャ)が25歳の事であった。

■次男・細川興秋の洗礼
天正15年(1587年)、次男・細川興秋が大病を患い、死にそうになった。キリスト教では、洗礼を受けずに死んだ者の魂は救われないため、細川ガラシャ(明智珠)は病床の次男・細川興秋に洗礼を受けさせた。

すると、洗礼を受けた次男・細川興秋は奇跡的に一命を取り留めて回復したので、細川ガラシャ(明智珠)の信仰はさらに深まった。

(注釈:洗礼を受けたのは、次男・細川興秋ではなく、天正14年に生まれた三男・細川忠利という説もある。)

実話・細川ガラシャ(明智珠)の生涯のあらすじとネタバレの「細川ガラシャ(明智珠)の離婚騒動のあらすじとネタバレ」へ続く。

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